菅沼 優子(すがぬま ゆうこ)さん

1992年 4月 産経新聞社入社、慶應義塾看護短期大学入学のため99年に退社。

2002年 3月 慶應義塾看護短期大学卒業(短大12回生)

某大学病院に勤めるも半年で退職

2002年10月 週刊朝日病院ランキング「手術数で分かるいい病院」の編集スタッフとして働き始める

現在は新潮社週刊新潮編集部在籍。


就職してからの半年

  慶應義塾大学病院の就職試験でリカレント学生10人中9人が、落とされたため、他の大学病院に就職しました。学生の頃は分からないことは聞きなさいと教わり、実習を通して慶應病院の看護の現場も同様だと感じていました。しかし就職した病院では「何故分からないの、慶應まで出たくせに」と言われまして、いろんな意味で、先輩にわからないことを質問できる雰囲気ではない。それでは働きにくく、事故に巻き込まれると思って半年で退職することにしました。

 悩んだ時に、短大時代の先生方が相談にのってくださったことに感謝しています。いつでも待っていてくださる先生方の存在は嬉しかったです。

「病院ランキング」に関わる

 辞表を出した翌日、「病院ランキングの企画をしていて看護師のコメントが欲しい」、と朝日新聞の記者から取材協力依頼がありました。退職したばかりで、偉そうなことも言えないと断ったところ、ならば企画に携わってはどうか、という話になり、電話をいただいてから4日後には、週刊朝日編集部で故・ナンシー関さんの机をお借りして、仕事をすることになりました。

 

 トントン拍子に話が進んだのには理由があります。病棟勤務時代、年間わずか1、2例しか執刀例のない口唇裂や口蓋裂、先天性心疾患などを、病院の手術実績を両親に伝えることもなく、執刀する場面を多く見かけました。その手術の執刀経験がまったくない医師が、やっつけで執刀するより、慶應や順天堂など小児の手術を多く手がける他大学へ紹介したほうが、その子の人生は素晴らしいものになるのに、医師のプライドや見栄が優先される。結果、治るものも治らず、累々と子供の屍の山が築かれる現実に憤りを感じていました。

 

 手術成績は、医療機関で大きく異なる。その事実を知らないために、患者は不利益を蒙っているわけで、医療機関の治療成績を比べ、情報開示できたらいいのにと思っていたところにきた願ってもない話でした。とりあえず10月から12月いっぱいの契約だったのが、企画が大反響を呼び、結局、週刊朝日の病院ランキング「手術数で分かる いい病院」には2002年から2006年まで携わることになりました。

「病院ランキング」を離れるきっかけ

 麻酔科医が不足しており手術室がうまく稼働せず、50人以上の乳児が網膜芽細胞腫の手術を待たされている病院があります。小児看護の授業で、今井先生が、熱心に語っていた光景が思い出されますが、手術が遅れるために、失明後の盲教育を始める時期もずれ込むなど、手術の遅れが、その子供の成長発達、ひいては人生そのものに影響を与えてしまう。それは、病院、そして厚生労働省の怠慢にほかならない。そういう病院が、手術数では病院ランキングの上位に入ってしまいます。数は多くても患者さんが多く待っている状態では、必ずしも質の伴った数ではないと思います。

 

 有名な先生でも取材を優先して「今取材中だから」と言って看護師やレジデントのオンコールを強引に切ってしまう。内分泌の先生が低血糖の患者さんが急変したというオンコールに今昼ごはん中だと言う。論外です。5年間取材に関わり、数字だけ追っていてはいけない、数字だけを過信し、医療の質を計るには限界があると思いました。結果として、「名医ブーム」を作ってしまったけど、今は、ドラマ「風のガーデン」で緒方拳さんが演じた末期がんの患者を支える医師や身近にいる医師に注目しています。

その人を引き出す

 人を怒らせたとき本性は出ます。そこで、ライターの仕事では、時に相手をわざと怒らせたりします。そして、話を聞いているときは、こちらからは絶対に目をそらさない、そこで、相手が人の目を見ないな、目がやけに動いているな、というリアクションから、この人が言ってることは、嘘だな、と見分けるわけです。ニュアンスが違うときや、間違ったときは訴訟になってしまいますので、怖いとも言っていられません。

 

 一方、看護師になったとき、一番何が嬉しかったかというと、患者さんが、自分の身の上を何から何まで話してくれることが新鮮でした。自分のことを話したくない人ばかりに会ってきましたので。

 

 日々、不平不満を言ってばかりの患者さん、認知症で問題行動を起こす患者さんも、その人が何故、そんな言動をとるのか、患者さんのヒストリーを聞くと、その理由がわかる。看護を通じて、多くの人の人生の悲哀を知る、理解することができるのが何より面白いと思いました。

情報を読み分ける

 産婦たらい回しの出来事についても、では、その病院に入院しているほかの患者のことはいいのか、引き受けるべきだったと書いている新聞記者は、他の患者さんに対してはどう責任がとれるのかと思います。

 

 正確な報道のためには、足で情報をかせぐしかありません。例えば、現場で医師だけではなく技師や看護師の話を真摯に聞く、夜間の救急医療の現場に自分で行ってみる、などです。医療たたきの持論を展開している記者は、まず現場を知らないし、医療の基礎知識もない。取材の足りない新聞記事、テレビ番組には不買運動を起こすくらい、医療従事者は毅然とした態度をとるべきだと思っています。たとえば毎日新聞などは、同じような病院ランキングで、医師個人の執刀経験だけが医療の質の全てのように書いていますが、これは大間違い。オペ室やICU、そして病棟看護師の日頃の経験こそが、合併症の早期発見につながり、術後の生活指導にも生かされる。患者のQOLに多大なる影響を与えるものだと確信しています。看護師、コメディカルを軽視しているから、そういう論調になるのでしょう。

信念

 病院ランキング連載担当を辞めてからは、文京区内の老人ホームで週2、3回働きながら、単発で記事を書いていました。ペンネームの「那須優子」という名は、本名では看護師として就職しにくくなるので、編集長の親父ギャグから生まれました。大学病院半年でやめたじゃないと言われるかもしれません。ただ、看護師経験に偏ると、読者には情報が伝わりにくい。一方、医療不信をあおる記者は机上の空論ばかり。専門性と、医療知識のない人にも理解、共感してもらえる内容とのバランスが難しい。医療従事者と患者の立場の違いを考え、バランスをとりながら、現場の実状を伝えるというのは私の使命だと思っています。

 

 記事掲載を断ったことがあります。編集者に「どうせ、バレないと思っていろいろ不正あるんでしょ。暴露本など書くのはどうですか」と言われ、医療に対して畏敬の念も抱いていない傲慢さが許せなかったからです。報道なんて、日々、そんなことの繰り返しです。

 

 それでも、医療不信を煽りたてる連中や非常識な医者に対して、ファイティングポーズをとり続けられるのは、実習に協力してくれた患者さんや、お世話になった看護師さん、そして出会い、亡くなっていった患者さんたちの死を無駄にしたくないから。

 

 看護の仕事はしんどくて、自分を保つために毎日リセットするのがやっと。自分が将来何をやりたいのか、考える余裕もありませんが、日々の患者さんとのやりとりで、気づきがあるから新しい目標ができる。ささいな気づきがあるからこそ次にやりたいことが出てくるのだと思います。