門田 美惠子(かどた みえこ)さん

昭和36年 北海道砂川市立病院附属准看護婦養成所卒業

昭和39年 東京都立代々木高等学校普通科第4学年卒業

昭和41年 慶應義塾大学医学部附属厚生女子学院別科コース卒業(第53回生)

昭和44年 東京都立公衆衛生看護学院保健婦科卒業

平成 4年 玉川大学文学部教育学科教育専攻卒業(通信教育課程)

平成 7年 筑波大学大学院修士課程教育研究科カウンセリング専攻修了(修士 カウンセリング)(社会人夜間大学院)

平成20年 人間総合科学大学大学院博士後期課程人間総合科学研究科心身健康科学専攻(在学中)

准看護婦…北海道砂川市立病院、慶應義塾大学医学部附属病院

看護婦 …ソニー厚木工場診療所

養護教諭…厚木市立荻野小学校、厚木市立鳶尾小学校

     厚木市立森の里小学校、

     厚木市立毛利台小学校、厚木市立厚木小学校

教  頭…厚木市立厚木小学校、厚木市立戸室小学校

校  長…厚木市立小鮎小学校、厚木市立荻野小学校

教  授…鎌倉女子大学家政学部家政保健学科

 

担当科目:

学部「養護学・養護活動実習・養護実習指導・健康相談活動・卒業研究・教育実習 他」

大学院「学校カウンセリング演習・心理学フィールド研究」

 

<主な著書>

創造する学校 共著(第一法規)、

保健室からの登校-不登校児への支援モデル- 國分康孝先生と共著(誠信書房)

保健室からの育てるカウンセリング 編集・執筆(図書文化)   他

 

<現在>

文部科学省(日本学校保健会)心の健康つくり推進委員会 委員

神奈川県教育委員会スクールヘルスリーダー連絡協議会 委員

日本カウンセリング学会 認定カウンセラー

日本教育カウンセリング協会 上級教育カウンセラー

 

<2008年夏からの講演と演目>

7月 群馬県教育委員会 養護教員研修会:「健康相談活動」講義と演習

8月 文部科学省 全国養護教諭研究大会:「保健室経営」

 〃  神奈川県教育委員会 スクールヘルスリーダー連絡協議会:

      「スクールヘルスリーダーに望むこと」

9月 秋田県教育委員会 養護教諭研修会:「健康相談活動」講義と演習

11月 校長会・PTA会長・教育行政全体研修会:「子育てについて」

12月 神奈川県厚愛地区小学校教育研究会保健主任部会:「保健に関する講義と演習」


准看護師、看護師、そして養護教諭へ

 北海道で育ちました。准看護師として3年間の実務経験があれば、正看護師への進学コースを受験できます。姉が東京に出ており東京に行きたいと思っていました。しかし、東京にある正看護師コースは上京していきなり合格することは難しいと聞き、まず北海道で准看護師として2年働いて、その後1年は東京の慶応病院で働き、正看護師コースへの入学を目指しました。そして、晴れて慶應義塾大学医学部附属厚生女子学院別科コース(准看護師から正看護師になるための進学コース)に入学しました。私にとって慶応の看護学校での学びは自分の人生に大きくプラスに影響を与えていると思います。そして、そのころのクラスメートとは今も会います。かけがえのない出会いですね。

 

 慶應義塾大学病院に入職後、内科処置室などで働きました。松村総婦長さん・杉山婦長さん・藤井主任さん等の教えはとても勉強になりました。その後、ソニー厚木工場の診療所に勤務した際、公衆衛生の勉強の必要性を感じ保健師の学校に入りましたが卒業した時には募集がなく、厚木市の養護教諭の話があったので、養護教諭になりました。赴任した学校は、分校もある大きな学校でした。養護教諭の職務で、医師の常勤はないため、救急処置など自分自身で判断をしなければなりません。その大変さを実感しました。

大学へ進学

 きっかけは、友人が大学に行くと言ったことだったのです。自分も大学に興味を持ちました。そして玉川大学に通信教育課程に入学しました。卒業論文のテーマは健康教育でまとめようと思ったのですが、指導教授の甲斐先生から健康教育はテーマが広いため内容が浅くなってしまうよと的確なアドバイスをいただきました。先生は心理に精通していたので、心理学の分野で何かないかと考え、その結果「不登校」をテーマとして選びました。自分は、日ごろの不登校児と接している中で、児童が保健室に来ることができるようにし、 一ヶ月で教室に戻れるという援助の流れで指導をしていました。その、保健室登校指導の流れを明らかにし、卒業論文にまとめました。

大学院へ

 玉川大学の大学院の案内を読んだところ面白そうだと思ったことがきっかけです。しかし、職場の合意が得られず玉川大学大学院の入学は断念し、働きながら通える夜間大学院を選びました。それが筑波大学です。子育てをしながら通信で学んだ大学の成績は悪かったのですが、大学院は研究計画が大切ですね。受験の提出書類には、研究実績については一枚、しかし資料を添付可となっていたことに気づき、枚数制限はないのだからとみかん箱1箱分を提出日には持参しました。受付で、捨ててもいいですからとりあえずこの箱も受け取ってください、とお願いしました。これまでに養護教諭関係で国や県からの依頼で講演等色々やっていたこと、教員の組合からも頼まれて講師を担当したことなどが自分にはたくさんありましたのでまとめて一緒に提出しました。

大学院では

 大学院では、医療関係,産業福祉、人事関係、裁判所などの法律関係、学校関係など様々なバックグラウンドの人と一緒にカウンセリングについて勉強しました。

 自分は、すぐに使える、世に役に立つ研究がしたいと思っていました。指導教員の國分康孝教授(現在日本カウンセリング学会会長)にご指導いただきながら、自分が支援してきた不登校の保健室登校支援の内容を全国はじめてモデル化しました。

 

<支援モデル>

・第1段階 リレーションづくり

 養護教諭と、児童間の望ましい交流が成立するまで

・第2段階 保健室登校への導入

 リレーションができてから、保健室登校に導くまで

・第3段階 保健室登校

 保健室に登校を開始してから、主に保健室で過ごしているあいだ

・第4段階 教室への再登校

 教室復帰させるときと教室へ再登校してからしばらくのあいだ

以上4段階に分け、対象を児童・教職員・保護者それぞれに使われる指導の方法・技法を支援モデルとしてまとめました。

 

 例えば、管理職や学級担任の先生に指導を頼まれたらその子が自分を受け入れてくれる方法を考えます。リレーションづくりができてきたら、夜でも短い時間でも保健室まで来ることができればオッケーよ、校門まで来ることができたら出席にして、ずるくないよと関わっていきます。やがて登校を果たし、もっと保健室に居たいと言っても、今日は3分と区切りをつけ、保健室に行きたい気持ちを高めます。恋愛と一緒です。追うと逃げてしまいます。

 

 保健室に入れるようになったら勉強をしているようで、実は人間関係の勉強をします。子どもと学級担任・子どもと友人をつなげる方法など。保健室で人間関係を持てるようになってきたら、厳しく、しからないでこの子に分かるようにひとり立ちできるようにしていきます。その後、教室に移すときも、勉強が遅れていると教室に入れないので勉強の調整もします。また、怖い先生には怒らないようにしてもらったりします。教室に入ったら多少甘やかして、交換日記や休み時間保健室に遊びにきて!などと見守ります。不登校を繰り返す子供は少ないですし、虐待やいじめの問題もこのモデルに沿って支援できます。支援はチームワークで行います。教職員間の連携、保護者との連携、専門機関との連携が大切です。

支援モデルを本に

 國分康孝先生から,形にして学会に発表したほうがいい,本にして全国の役に立つようにした方が良いと言っていただきました。養護教諭は全国で約4万人ですが、このモデルについて書いた「保健室からの登校」(著書参照)はもう6刷りになり大変に売れているそうです。ありがたいことです。

 

 養護教諭は勉強家だと思います。現在、養護教諭の養成大学は約100校あります。大学院も増えてきています。自分が大学院に行っていた頃は養護教諭で院生の人は、全国に十数人位だったと思います。今は,大学院に入学するための試験は簡単ではないけれど,以前に比較して難しくないように思います。養護教諭で教授している人もいます。本を読んで自分で考えることも勉強になりますが、大学院もその一つ,大学院で勉強したいと思っている人に門戸は開かれています。

家族の協力

 子育てをしながらの仕事、勉強。犠牲にしてきたものも多いと思います。大学(通信教育)の勉強を始めたのは,年子の子供の2番目が生まれたばかりのときでした。介護とも両立でした。その当時、産休は6〜8週間認められていただけでした。

 

 大学に入りたいと言ったら、学生結婚だった夫はすでに夜間大学に行っていたので、次は私の番だねと夫も賛成してくれました。大学の授業で作らなければならない作品を夫が手伝ってくれたり、音楽の授業は、勤務していた学校の音楽の先生に教えてもらったり、家族や周囲の方に助けられて通いました。

 

 仕事では、人間関係がうまくいかないとき、息子や娘が「今日は何かあったの,顔が曇っているよ」と。「人間関係でつらいと思っている人は何人いるの?」「12人のうち3人」と答えたら「じゃあ、いい人が勝っているね。オッケーオッケー!」と言ってくれました。

校長、教頭としての成長

 養護教諭から管理職になっても、チームを組み働くということは同じです。私は、何か問題が発生すると、それは本物の管理職にする教材だと思って、スキップしたいような気持ちで現場に向かっていました。教頭の時は校長からも優しくしっかりと指導していただきましたし、重要なことも任せていただきました。担任と子どもの問題や、授業がうまくいかない先生の問題など、問題解決の過程で中身の伴った教頭になっていけるので、私は嬉しかったです。子どもも親も教師も地域も教頭はだめだと思ったら相談に来ることはないので、周囲の皆から頼りにされ皆から相談していただけるということは嬉しいことです。

 

 校長で大規模校へ着任したときのことでした。永久歯の事故で何年間も学校と保護者が対立している件も、受診について、治療費についてなど具体的に提示し、親の希望は叶うということを伝え、1か月ほどで解決しました。また別の事例ですが父親からの虐待の可能性のある子どもの両親に学校に来てもらうときにも、担任がかけた電話を引き受けて、「突然でびっくりしたでしょ。4月から赴任した校長の門田です。突然のお電話をお許しください。子供さんのことが心配で電話をしました。ぶつけたような、転んだような怪我があるのです。本人は僕が自分でけがした、と何も言わないのですが、もしかしたら違うかもしれないけれど。私も素人で分からないので、児童相談所の専門の方に来てもらっております。きっとお役に立てると思います。申し訳ありませんが、学校に来ていただけないでしょうか。できたらお父さんも。」と丁重に言います。親は学校に来てくれます。虐待は難しいです。通報しても一回で治るものではないし、親も虐待を受けて育ってきた人がいるからです。

 

 きっと給料はその分だと思って、困っている教師や子ども、親の所にできるだけすぐに関わり問題は早く解決できるように努めていました。4つの学校で校長・教頭を経験させていただきましたが、「子どもにとっての楽しい学校・教職員は安心してしっかり働ける学校・家庭や地域から信頼させる学校」という教育の目標がどんどん達成されていくことは嬉しいことでした。

(文部省から校長室に電話があり、養護教諭の現職から即教頭・校長という管理職への登用は多分全国初でしょうと伝えられました。)

病気を通して

 実は30代の頃、大きな病気をしました。今こうして当たり前に歩いて息をしていることはすごいことだなと思います。こう思えることも、病気をしたお陰ですね。病気になったことは残念ですが自分にとって必要な事だったのかもしれない、今ならそう思えるのです。

 

 それまで、自分が病気するなど考えたこともなく、病気になったとき、夫の母も同居で病気がちだったし、何故病気になったのかなと申し訳ないと思い、夫に謝りました。そうしたら、夫は、マラソンで自分だけが選手で皆は頑張れと応援する観客ではなく、家族皆が選手だよ、夫も子どももみんな走る選手だよ。そしてお医者さんや看護師さんが皆で一生懸命応援してくれるよ。家族は一緒に走るよと言ってくれたことが、嬉しく心に残っています。

大学教員へ

 15歳から社会の中にいたので、60歳の定年でスッキリと退職しようと思っていました。巡礼や、大学院の研究など途中で止まって中途半端になっていることをしたいと思っていました。したいことは、すごいことではなく、ずっと働いてきたので子どもにも夫にもお世話になりっぱなしでしたし、孫の世話もしたいし、草取りもしたい、ほんの少しのつまらないように思えることを存分にしたいと思っていました。

 

 現在の大学から、人員に困っていると言われました、ボランティアならいいのですが、と言ったのですがとても困っているということで、それは校長の時にお世話になった先生からの依頼でした。「困っている」という言葉にどうも私は弱いようです。新設される養護教諭の課程は、養護教諭の課程を学生が自分で選択し、GPA(Grade Point Average)と一定の単位取得により卒業時、養護教諭一種免許状が取得できるというスタンスの課程です。多分希望者は10人くらいでしょう、と言われていたのですが、蓋を開けたら新入生100人中96人が養護教諭の免許取得希望者でした。私の授業は厳しいけど楽しいと言ってくれます。養護教諭になりたいと大勢の学生が入学してきますが、基準に達しない場合は当然ですが進級することはできません。私も、学生のことを考えればこそ基準を守り弱い自分に負けないように、自分の信念を持ち、正しいことは正しいという姿勢でいるよう心がけています。

大学教員として

 大学では養護教諭の養成と大学院ではカウンセリングの講義を担当しています。学問的体系などももちろんですが、実践から学んだ人間関係つくりのコツも話します。例えば、不登校の子どもは内にいいものを持っています。人間関係つくりがちょっと苦手でも、全員に好かれなくて8、9割好かれていればいい、自分にオッケーを出せれば、他の人にもオッケーを出せるようになります。そういうことなども話します。私の場合、実践で学んだたくさんのことを講義に生かすことができ、充実した日々を送ることができています。

 

 学生や同僚・家族など周囲の人たち、そして今日の慶應紅梅会のインタビューからも大きなエネルギーをもらい、そのお陰で健康教育の道を一歩ずつ歩くことができていると感じます。